由 緒
天保初年(1830年)葦屋勇助なる人物がこの土地の開発を試みます。しかし度重なる水害に遭い、功半ばにして池田屋大吉なる人にその開発を譲ります。池田屋大吉は開発に先立ち天保6年(1835年)、成功を祈願して大神様を勧請しお祀りします。
開発は無事成功し、開発された土地は「池田新田」と称されるようになりました。この成功を以て神域を整え(現在の港南公園北東隅付近)大神様を産土神とされました。現在の三先、池島をお護りされる氏神様です。
明治45年・大正元年(1912年)には当時の地主、田中市蔵なる人が私財を投じ修築されました。昭和20年(1945年)には、この辺りは空襲に遭い焼け野原になりました。しかし当社は、大神様のご加護により消失は免れました。
その後、戦災からの復興と、度重なる台風などの水害を回避するため大阪市により盛土工事が行われました。この盛土工事の根拠となった風害水害は当天満宮にも被害をもたらし、その都度改修工事を繰り返しました。
抜本的改修が必要とされていた折、大阪市による盛土工事の施行と隣接の港南中学校の拡張が決まり、これを機に昭和40年(1965年)に現在地に遷宮御造営(移築・改修工事)がなされました。
平成17年(2005年)には、御鎮座170年のお祝いの節目を迎え50年ぶりに奉祝祭・奉祝行事を厳粛に斎行申し上げました。平成26年には氏子崇敬者の厚いご崇敬の念が集い、玉垣と境内社2社の改修工事が執り行われ、御神威あらたかに平成27年の御鎮座180年の節目を迎えました。